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東京地方裁判所 平成4年(ヨ)2277号 決定

債権者

吉岡亮

右訴訟代理人弁護士

吉岡寛

伊藤亮介

大嶋芳樹

牧良平

債務者

日本メタルゲゼルシャフト株式会社

右代表者代表取締役

ロバート・エフ・リニントン

右訴訟代理人弁護士

湧川清

島田寿子

主文

本件申立をいずれも却下する。

申立費用は債権者の負担とする。

理由

第一請求

一  債権者が、債務者に対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、金三三万五四五四円及び平成五年七月一日以降毎月二四日限り金六一万五〇〇〇円並びに毎年六月一〇日及び一二月一〇日限り一二三万円の各金員を本案判決確定に至るまで仮に支払え。

第二事案の概要

債務者は、鉄鋼、非鉄金属及び化学薬品等の輸出入、国内販売等を業とする株式会社であり、ドイツ国フランクフルト市に本社をおくメタルゲゼルシャフト株式会社(以下「ドイツ本社」という。)の日本法人であり、香港法人のメタルゲゼルシャフト・ファー・イースト・リミテッドの一〇〇パーセント子会社である。債権者は、昭和四九年に債務者に雇用され、非鉄金属関係の部門で部長の職にあり、平成元年から工業製品部課長補佐の職にあった。債務者の従業員数は、代表取締役を含めて一六名であり、債権者の所属していた工業製品部は、部長杉谷、課長岸山、課長補佐債権者、秘書中村の四名で構成されていた。

第三争点及び当事者の主張

以上の事実は、当事者間に争いがなく、雇用契約の終了について債務者は、以下のとおり主張する。

一  任意退職

債務者は、債権者に対し、平成五年三月二五日及び同月三一日、「FORMAL NOTICE OF RESTRUCTURING」と題する書面により退職を勧告したところ、債権者はこれらを何ら異議を唱えることなく受領した後、事務の引き継ぎを行い、取引先に対しては電話で退職する旨を伝え、同僚に対しては「今日が最後です」と挨拶して四月九日に会社を去っているのであり、債務者の退職勧告に応じて任意に退職したものである(書面の交付及び四月九日に会社を去ったことは当事者間に争いがない)。

(これに対する債権者の反論)

右書面は、退職勧告などではなく、解雇通知そのものである。そして、右書面により出社に及ばずと命令されたので、後に異議をとどめるつもりで不本意ながらそれに従って自宅待機をしただけであり、退職勧告に応じたものではない。

二  懲戒解雇

債務者は、債権者に対し、五月七日付け書面により、以下の理由により五月末日をもって懲戒解雇する旨の意思表示をした(右意思表示をしたことについては当事者間に争いがない。)。

すなわち、債務者は、債権者の再就職など将来を考慮して、退職勧告を行い、本人の自発的退職を促したにもかかわらず、債権者は、これを拒絶し、本件申立を行うとともに、債務者のドイツ本社に対して、債務者代表取締役ロバート・エフ・リニントン及び同取締役杉谷淳を誹謗、中傷する書面を送付した。右のような状況を踏まえ、債務者は、度重なる指示命令違反、報告義務違反、非協調性等を理由として、債権者を就業規則四条一項により懲戒解雇したものであり(その詳細については、平成五年六月八日付け債務者準備書面の記載を引用する。)、仮に右任意退職が認められないとしても、債権者は、五月末日をもって従業員の地位を喪失したものである。

(これに対する債権者の主張)

就業規則四条一項に定める「会社に損失を与え、会社の信用を失墜させたときなど」に該当する事由というのは、背信的な行為を対象としていること明(ママ)らかであり、債権者にかかる事由がないことは明らかである。債務者は、ドイツ本社に対する報告が上司に対する非協調性の証左であるがごとく主張するが、失当である。

三  普通解雇への転換

懲戒解雇の意思表示が無効であっても、懲戒解雇の事由が普通解雇の事由にも該当する場合には、懲戒解雇の意思表示は普通解雇の意思表示に転換して効力が認められると解すべきである。右に述べた懲戒解雇の事由は、就業規則四条二項の「会社が要求した業務を遂行する能力に欠けている」場合にも該当するから、仮に右懲戒解雇が無効であっても、右意思表示は、普通解雇の意思表示に転換して効力が認められる。

四  普通解雇

債務者は、債権者に対し、七月二〇日、三〇日の予告期間をおいて就業規則四条二項により解雇する旨の意思表示をした(これは当裁判所に顕著な事実である。)。仮に、懲戒解雇の意思表示が普通解雇の意思表示に転換されないとしても、債務者のした右普通解雇の意思表示により、八月一九日には債権者は従業員の地位を喪失したものである。

すなわち、債務者は、従業員数が代表取締役を含めて一六名という小規模な会社であり、緊密なチームワークが要求されるにもかかわらず、上司に対して反抗的な態度をとり、指示された仕事をせず、上司に対する業務報告も行わないなどチームワークを乱し、工業製品部の業務遂行を困難ならしめた。また、世界的不況の影響で、債務者においてはすべての部門の業績が上がらず、工業製品部においても、新規業務の開拓が期待されていたにもかかわらず、債権者は、担当業務に対する勤労意欲を見せることなく、業務拡大を図る努力を怠ってきた。以上のような勤労務度をとる債権者については、「会社が要求した業務を遂行する能力に欠けている」との評価を免れず、債務者のした解雇は有効である。

(これに対する債権者の反論)

債務者の右解雇の意思表示は、三月二五日のものから数えて四回目であり、かかる解雇の意思表示の乱発はとりもなおさず解雇権の濫用である。

また、本条項は、新しく採用された者あるいは近時能力の急変等があった者を想定した規定であって、一九年間債務者に勤務してきた債権者に適用されるべき規定ではない。債務者は、就業規則の改悪、諸労働条件の不利益変更を嫌う古くからの従業員を徐々に辞めさせ、その反対の先頭に立ってきた債権者に対して種々の嫌がらせを重ねてきた。工業製品部のチームワークを乱してきたのは杉谷であって債権者ではない。

第四争点に対する判断

一  任意退職について

債権者が、四月九日、取引先に退職する旨伝え、同僚に「今日が最後です」と挨拶して帰宅し、以後出社していないことをもって任意に退職したものと認め得るか否かについて判断する(四月九日が金曜日であることは裁判所に顕著な事実である。)。(証拠略)によれば、右各書面には、六月一四日(三月二五日に交付されたものによれば五月二六日)に退職することの勧告とともに、四月一二日以降は出社に及ばないが右退職の日までの賃金が支給されること、通常の退職金に加えて割増勧奨金が支給されることが記載されているのであって、その解釈については後述するように疑義のあるところではあるが、いずれにしても直ちに従業員としての身分を喪失させるものではないことは明らかであるから、債権者としては、もしこれに不服があって何らかの方法で争うとしても、とりあえずこれに従って自宅待機した上でこれを行うという形をとるのが自然であり、その際に取引先及び同僚に挨拶をするのは退職の意思の有無にかかわらず何ら不自然ではないと考えられるから、債権者の右行為をもって退職の意思の発現と認めるのは困難である。そして、他に債権者が任意に退職したと認めるに足りる証拠はなく、かえって債権者は四月八日に本件申立を行っているのであって、これらを総合すると、債権者が任意に退職したものと認めることはできない。

なお、債権者は、右二通の書面をもっていずれも解雇通知であると主張するが、就業規則の解雇に関する条文を引用しているあたり解雇通知であると解する余地がないではないものの、文言の体裁及び債権者が債務者からこれを示されて回答を求められて、考慮のための期間の猶予を得ている(この点は当事者間に争いがない。)ことに照らすと、これをもって解雇通知であると解することは困難である。

二  懲戒解雇について

債務者が懲戒解雇の事由として掲げる事実はいずれも労働者に対する制裁の極致としての懲戒解雇に値するものとは解されないので、主張自体失当である(問題になる余地があるのは、ドイツ本社に債務者幹部を誹謗中傷する内容虚偽の文書を送付したとする点であるが、送付した先が外部の取引先等ではなく、ドイツ本社であって、対外的信用を害した場合を想定した「会社の信用を失墜させたとき」に該当するものとは言えないこと、交付された書面の文言に疑義はあるにせよ会社にとって不要の人材であることを宣告された直後の行為として汲むべき点があると思われ、これのみをもって懲戒解雇の事由とすることは困難であると解される。)。

三  普通解雇への転換について

懲戒解雇は、企業秩序違反に対する制裁罰として普通解雇とは制度上区別されたものであり、実際上も普通解雇に比して特別の不利益を労働者に与えるものであるから、仮に普通解雇に相当する事由がある場合であっても、懲戒解雇の意思表示を普通解雇の意思表示に転換することは認められないと解する。

三  普通解雇について

杉谷の陳述書(〈証拠略〉)によれば、以下の事実が認められる。

債権者は、債務者に入社した当初は、非鉄金属部門において部長の待遇を得ていたが、ドイツ本社から派遣されていた社員とトラブルを起こしたため、ドイツ本社から辞めさせるよう債務者に申し入れがあったが、杉谷が、自分が債務者に引き取ったという経緯を考慮して工業製品部に引き取ることとしたために、解雇を免れ、待遇も課長補佐に降格され、債権者よりも年下の岸山の下で働くことになったものであること。

債権者は、工業製品部に移籍して以降、次第に部長である杉谷に報告、連絡、相談をしなくなり、杉谷にしばしばこれを励行するよう指示されたにもかかわらず、「忙しそうなので報告、連絡をしなかった」、「どうしてこんな細かいことまで報告、連絡しなければならないのか」、「必要ないと思ったのでしなかった」などと言い訳をするばかりで、ますますこれらを怠るようになっていった。杉谷との会話も、顧客に対して提示する価格を決めるときしかせず、出退社時の挨拶以外は口も聞かない状態で、他の社員がどんなに忙しく働いているときでも夕方五時半頃には帰宅していたこと。

平成元年九月、ドイツMG本社の子会社で自動車部品を製造販売しているコルベンシュミット社から技術者が来日し、日本の会社を訪問することになった際、杉谷が債権者に、右技術者らの案内をするよう指示したが、債権者はこれを断ったため、やむを得ず杉谷がこれをすることを余儀なくされたこと。

平成二年末から平成三年初頭にかけて、オランダのケミー・ファーマシー・ホランド社から酸化クロムの対日オファーがあったため、杉谷が債権者に対し、買い手を探すよう指示したが、これに興味を示した会社はなかった旨の回答しかしなかったため、杉谷が、これでは不十分である旨説明して再度指示した結果、ようやく中国興産という商社と取引ができるようになったこと。

平成四年一〇月頃、ドイツのNA(ノルドドイチェ・アフィネリー)社の化学品部長シルムベックが来日し、債権者が同道して各取引先を回った際、ヘキスト・ジャパン株式会社がNA社のオキシ塩化銅を他のルートから仕入れているのを、債務者経由に切り替えてもらうよう依頼し、同年一二月までに回答を得る予定であったが、債権者がその後何もしなかったため、結局実現しなかったこと。

右シルムベックが来日した際、NA社が原料として使用するもの及びNA社のルートに乗せられる製品について、債務者経由で購入できないか、債権者が同氏と交渉することになっていたにもかかわらず、何もしなかった。

平成四年一二月頃、ドイツMGの子会社であるドイチャー・ロストフ・ハンデル社が工業薬品約二〇品目を紹介してきたので、杉谷は、債権者に買い手を探すよう指示したところ、自分は輸出入業務で忙しいので、杉谷及び岸山も含めて三分の一ずつに分けて欲しい旨希望し、杉谷が再度債権者単独でするよう指示したところ、ようやく、一年かけてじっくりやる旨答えたが、結局ほとんどやらなかったこと。

中村は、秘書の仕事を担当していたが、杉谷は、将来他の仕事も担当させてやりたいと考え、債権者の担当していた輸出入の仕事を少しずつ同人に教えて実際に業務を担当させるよう債権者に指示したが、債権者はこれに従わなかったこと。

以上のような勤務状況であったため、債務者は、債権者に対し、毎年一月に行う社員の給与査定において、平成二年に五万円の減給、平成三年昇給なし、平成四年一万五〇〇〇円増額、平成五年昇給なしという措置をとったこと。

以上によれば、債権者の勤務態度ははなはだ芳しくなく、職場に適応する意思がないものと認めざるを得ず、殊に債務者のように小規模な会社の小人数組織における意思疎通の重要性に鑑みると、債権者の上司との意思疎通を軽視し続けた勤務態度は、「会社が要求した業務を遂行する能力が欠けているとき」に該当するものと認めるのが相当である。

債権者は、右条項は、新しく採用された者あるいは近時能力の急変等があった者を想定した規定であると主張するが、そのように限定的に解すべき理由は見いだせない。

また、債権者は、債務者が債権者を降格させたこと、それに併せて減給を行い、以後ほとんど昇給をさせていないことをもって、杉谷及び現代表取締役であるリニントンの嫌がらせであって、債権者の能力とは無関係であると主張し、債権者の陳述書にもそれに沿う記述があるが、後述するように債権者の陳述書には、不合理な点があり、採用できない。一例を挙げると以下のとおりである。

債権者の陳述書(〈証拠略〉)には、必要な報告、連絡及び相談をしなかったことについて、殊更報告や連絡を重要視することがおかしいのであって、わざわざ報告せずとも上司の知りうる事項については連絡や報告などはしなかったと述べている部分がある。確かに、一定の限度で業務を任されなければ勤労意欲が減退してしまうのは事実であるが、連絡や報告を緊密にすることにより、日常の業務を円滑に進行させるべきことは、労働者に課せられた一般的義務であって、これをいかなる範囲で行うかについては一律に決しえない問題ではあるが、上司との間にこの点を巡って見解の相違があるのであれば、相談しながらよりよい関係を模索していくというのがあるべき姿であって、債権者にはこのような模索の姿勢は全く認められない。

ケミー・ファーマシー・ホランド社の件について、この会社を知らなかったので、熱が入らなかったと述べているが、知らないのであれば、どのような会社か調査することまで指示されていると考えて、更に調査すべきであって、右のような態度は債務者の要求には程遠いものであると認めざるを得ない。

ドイチャー・ロストフ・ハンデル社の件についても、パンフレットを取り寄せて数社に送ったが反応がなかったと述べているが、債務者の要求しているのは、それらの経過について逐一報告をすることであると考えられるから、反応がなかったから何も報告をする内容がないというのは、債務者の要求に応えたものとは認め難い。また、一旦指示された後も三分の一ずつにすることを要求するなど、上司の指示に従い誠実に業務を遂行する姿勢が認められない。

以上のとおりであるから、債権者の主張は理由がなく、かつ、債権者の陳述を斟酌しても、右認定を覆すことは到底できない。

以上に加えて、債務者が小規模な会社である上に、既に非鉄金属部門でトラブルを起こして移籍及び降格された経歴のある債権者を受け入れる部門もなく、もはや配転により心機一転を図ることも困難であること、昨年来業績が悪化しており、従業員が一丸となって不況に立ち向かわなければならない状況にあること等を勘案すると、債務者のした本件解雇をもって解雇権の濫用であると認めることはできない。債権者は、右解雇をもって四度目の解雇の意思表示であり、解雇権の濫用であると主張するが、三月二五日及び三一日に交付された書面が解雇の意思表示ではないことは既に判示したとおりであり、懲戒解雇と普通解雇とは既に判示したとおりその要件及び効果が異なるのであるから、債務者がその双方を選択することは何ら妨げられるものではなく、右主張は失当である。

したがって、債権者は、本件解雇の意思表示が到達した日の三〇日後である平成五年八月一九日の経過とともに債務者の従業員としての地位を喪失したものと認められる。なお、債権者は、三月三一日交付の書面により与えられた有給休暇期間の終了した六月一五日以降も就労していないが、これは債務者が雇用関係の終了を主張して債権者を就労させなかったことに起因するものであるから、民法五三六条二項により債権者は賃金請求権を失うものではないと解される。

第四結論

以上によれば、債権者の主張のうち被保全権利に関する部分は、七月一日以降八月一九日までの賃金の支払を求める部分を除いて理由がなく、右賃金の支払についても、本案裁判の確定を待たずに即時支払を命じなければならない必要性は認め難く、本件申立はいずれも却下を免れない。

(裁判官 蓮井俊治)

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